エジプト展

令和5年10月22日 晴れ

 

 妻の運転の練習がてら、ドライブをする予定だった。

 その前に、朝、犬を幼稚園に預けなくてはならないので、まずは、家からそこまでの何度も通った道から運転してもらおうとして助手席に座ったのだが、きょとんとしている。運転してくれと言うも、何故か拒否された。そんなの無理だと。

 昨日までの話と違う。「義母、義祖母を乗せてドライブに行く」、「運転の練習だ」、「では、私はドライブ先で酒でも飲めるな(冗談だが)」、「私と二人で練習するより、おかあさんもいた方が厳しくなくて良いよね」などと話していたのは何だったのか。自分の運転で出かけるとは思っていなかったと言い、じゃあもう行かないと言って、部屋に帰ってしまった。私も感情的になって、勝手にしろ!と言って無視してしまった。

 が、そのまま放置して、出かけるのもはばかられるので、部屋に戻って呼び戻した。この世の終わりのような絶望的な顔をしていた。そこまで落ち込む必要もないと思うが。

 遠くに行くのは止めて、どこか交通量の少ないところで練習しようということで、なんとかなだめて、どうにかそのままひきこもることは回避した。

 

 

 私は、大学時代に自動車部というものに入っていた。そこでは、競技以外にも公道で安全運転するための練習というか、上級生からの指導を受ける。それでOKが出たら、競技に参加することができるのだ。上級生になったら私も下級生を指導していた。

 その時の指導を思い出して練習させてやろうと考え、30分ほどかけて大学に行った。

 

 練習の前に、お昼ご飯を食べようと、つけ麺屋に向かっていたが、途中、市役所前の公園で「国際フェスティバル」のようなものを見つけた。何やらいいにおいがするし、先日海外旅行に行ったばかりの我々は、ちょっと気になって寄ってみた。

 こういうフェスティバル、東~東南アジアばかりなんよなあと思いながら行ったのだが、時勢柄ウクライナのブースもあり、他にも南米やアフリカ諸国のブースもあった。全ブースではないが、それぞれの国の様々な食べ物があり、パッタイとフォーと四川煮とココナッツミルクのぜんざいを食べた。米や漬物の素を配っているところもあり、かなり良いフェスティバルだった。

 

 

 お腹を満たしたところで、運転の練習に移る。シート、ミラーの位置合わせから。

 妻はビビりな性分で、アクセルを踏めと言っても怖いと言って踏まないし、ハンドルはこう廻すのだと言っても「そんなの習ったことない」とか言う。全然うまくいかない。ソリオで練習したのでそんなに大きくないが、「大きい大きい」と連呼していた。そりゃ軽よりは大きいが・・・

 今日は少し車に慣れるだけということにして、続きは次回(教習所に通った方が良いか?)。

 ネガティブなことばかりだが、いいこともあった。バック駐車ができないと言っていたのに、結構うまくできていた。もう少し練習すればできるようになると思う。

 

 

 そんなこんなで、30分ほど練習をして次に移る。実は、大学の近所で「古代エジプト展」をしているという。エジプトに行ったばかりでまだ熱が冷めていない私たちがこれを逃すはずがない。

 展示内容は、考古学博物館でいえば、端に追いやられているものや、説明書きもなさそうなものがほとんどな気がするが、それでも興奮はする。

 エジプトでの学びが活かされた場面もあった。派手に装飾された大きな木棺があったが、これにカルテューシュが見当たらない(カルテューシュとは、ファラオの名前を囲む楕円の輪郭)。考古学博物館で飾られていた木棺にはほぼ必ず入っていたし、ガイドが「カルテューシュがあるからファラオの名前があった。ファラオのものには必ず入っている」と言っていた。カルテューシュがない、この木棺はファラオのものではないと予想しながら見ていたが、解説を見ると正解で、貴族女性のものだった。

 頭部と左足首から下だけだが、少女のミイラもあった。この数千年前の少女も、亡くなった後になって、見たことも聞いたこともない、そのころにはまだ大した文明もなかった、日本という国に行くことになるとは夢にも思っていなかっただろう。

 

 帰りに土産物屋で香水瓶を買って帰った。エジプトで買ったものは、どこかに穴が開いていたようで、香水を入れると漏れてくるのだ。裏のバーコードを見ると「エジプト産」と書いてあるし、日本で買うものだから、今度は大丈夫だろう。